2016年8月15日撮影
◆別名
◆所在
尾張旭市井田町
◆交通
◆歴史
明徳年間(1390年~1393年)に浅井玄播が築いた城と言われている。
後の文明年間(1469年~1487年)には浅井与九郎の名前が残り、永禄年間(1558年~1570年)は織田信長の配下で林三郎兵衛正俊が支配していたと伝わっている。
ただし、井田地区には他に井田東城と瀬戸川城の3城があった事がわかっており、上記の城主が井田城と井田東城のどちらの城を治めていたかは定かでは無い。
立地を見ると、井田東城は矢田川沿いに建てられていた可能性が高く、何度か大雨で河川が氾濫している事から、井田東城が最初に築かれたが、矢田川の氾濫で城が失われ、その後に井田城が築かれたのではないかと思われる。
◆現在
昭和53年に区画整理のため発掘調査が行われているが、東西、南北共に70m弱の方形の城館で、周囲に高さ1,2m、幅約5m程の土塁をめぐらせ、その外側には深さ1m、幅3,5m程の堀があった事が判っている。
宅地化が進んだ結果、遺構などは残されておらず、八反公園に城跡碑が残るのみとなっている。
公園の一角に立てられた城址碑と看板
看板に書かれている縄張り図