◆別名
◆所在
尾張旭市稲葉町
◆交通
◆歴史
築城時期は不明。
新居城主の水野良春の四世孫にあたる水野照昌が稲葉村を開墾して居城を構えた事が始まりとされる。
照昌は姓を毛受に改め、この地で産まれた子供が柴田勝家に仕えて後に1万石を拝領するまでになった毛受勝介である。
廃城になった時期ははっきりしないが、柴田勝家が天正3年(1575年)に北陸へと移封になった際に領地を得ている事から、この辺りで廃城となった可能性は高い。
勝介の子孫は尾張藩に仕え、明治時代には姓を水野に戻している。
◆現在
遺構などは存在せず、城の位置もはっきりとしないが、水野家の庭には毛受庄助家照之出生地の碑が立っている。