野方東(のかたひがし)城

年月日撮影


◆別名

下井田城

 

◆所在

日進市野方町東島

 

◆交通

 

◆歴史

地元の地誌などに記載はあるものの、城主や築城年などは詳細が不明の城。

野方西城との間には小山があったとされ、山の東西にそれぞれ城が築かれていたと伝わる。

野方西城は三好定助が城主と言われているが、東城はわかっていない。

 

◆現在

県道58号線の北側に微高地がある。本来は小高い山だったと言われているが、現在は土地改良のため削平されてしまっている。

 

現在の国道153号線と県道58号線は、昔の飯田街道とほぼ同じ所を通っており、西から順に川名城植田城平針城(ここまで名古屋市)と来て、日進市に入って浅田城野方西城、野方東城、藤枝城米野木城などがあり、足助城を通って信州飯田までの街道沿いには多数の城が築かれていた。

 

ただし、名古屋市から日進市にかけての城跡は、ほとんど遺構としては残っておらず、特に日進市内の城は規模などを考えても、街道沿いを見張る砦の役割を果たしていた程度であったと考えられる。

 

その後、徳川家康が本格的に飯田街道を整備した際に、役目を果たし終えたため、破却されたのではないかと思われる。