諸輪中(もろわなか)城

城があったと言われる地は、現在駐車場になっている。

 

2016年4月25日撮影


◆別名

 

◆所在

東郷町諸輪中市

 

◆交通

国道153号線豊田西バイパスを西へ向かい、北山台5丁目の信号交差点を左折して、県道36号線に入り、諸輪の信号交差点を直進して520号線を進む。

150m程進んだ最初の四つ角(信号は無い)を左折し、70m程進んだ四つ角を左折すると清安寺の入り口に到着する。

清安寺に入る四つ角を曲がらずに直進し、200m程進んだ左側の駐車場一帯が城跡となる。

 

◆歴史

永禄7年(1564年)に丹羽氏識が築いた城館。

 

桶狭間の戦い後、今川家から独立を図った徳川家康(当時は松平)は永禄5年(1562年)清洲城の織田信長と同盟を結ぶ。

 

岩崎城主の丹羽氏識は松平家に従い、尾張の織田信長とは敵対関係にあったが、両者が同盟した結果、隠居を余儀なくされ、永禄5年(1562年)に織田信秀の娘を継室としていた嫡男の氏勝に家督を譲り、氏識は諸輪北城へと移り住んだ。

 

その後、氏識は出家をして道久と名乗り、清安寺を建立。隣接地に諸輪中城を築いて居住したと言われている。

永禄8年(1565年)に氏識が死去すると、丹羽氏重(氏勝の嫡男)が一時居城し、その後廃城になったと伝わる。 

 

◆現在

諸輪中城は四方を竹林に囲まれ、堀と土塁を巡らせていたと文献には残るものの、宅地化の影響で遺構などは残されておらず、清安寺のみが現存する。 


氏識が出家し、建立した清安寺は現在でも残されている。

 

なお、清安寺の山号は道休山となっている。