2018年9月8日撮影
◆別名
◆所在
瀬戸市共栄通
◆交通
◆歴史
寛政年間(1460年~1466年)に挙母城主中条氏の配下で、碧海(現在の安城市)今村城主であった松原一学は中条氏の命により飽津の地へ移り住んで来た時、この地にも『今村』と名付け、築いた城がこの今村城である。
息子の広長の代になると勢力を拡大し、桑下城の長江利景と並び、瀬戸一帯を支配する二大勢力となっていった。
応仁の乱が起こると、松原広長は本地城の松原平内らと共に、一族を挙げて山名方に付き、細川方に付いた桑下城の長江氏と安戸坂で対峙したものの、阿弥陀ヶ峰城の近辺で討死を遂げ、松原氏は衰退していったとされる。
◆現在
八王子神社一帯が城跡と言われており、境内の北側にある池は堀跡とされる。
また、池の脇には城址碑と お鶴井戸と呼ばれる井戸跡が残る他、境内には松原一学を称えた碑もある。