新居(あらい)城

年月日撮影


◆別名

城山城 ・ 旭城

 

◆所在

尾張旭市城山町長池

 

◆交通

 

◆歴史

南北朝時代に南朝に所属し、このあたりを切り拓いた水野良春が築いた城で、子孫には柴田勝家に仕えた毛受勝介がいる。

 

水野氏は桓武平氏の流れを汲んだ家柄で、代々志段味城を本拠としていた豪族である。

1331年の元弘の乱においては、吉野金峯山の僧兵部隊の将として戦っていたが、建武の親政の頃に一旦は先祖の地である志段味城に戻った。しかし1336年に南朝方に呼ばれて、再び吉野へと入り各地で北朝と戦ったが、再び帰郷した後は志段味城を一族に任せ、新居の地を切り拓いて新たな本拠地とした。

 

その後の城主である水野宗国は近隣の大森城主の尾関氏と争いを繰り広げ、永禄年間(1558年~1570年)は水野才蔵、元亀年間(1570年~1573年)には水野宗信が城主として存在していた事が伝わっている。

 

城の北東、北西には池があり、東、南、西の三方向を沼地に囲まれた丘の上に築かれた要害であり、ここを拠点として、水野氏は尾張旭一帯に支配を広げていった。

 

◆現在

城跡は公園となり、土塁が残されているが、大部分はテニスコートとなっている。

城跡のすぐ南側に模擬天守が建てられている。


本丸跡から東側の土塁を見上げる


土塁の上、北側から撮影


本丸の東にある二段土塁の下側から本丸を見上げる。


二の丸から模擬天守を撮影