2015年4月27日撮影
◆所在:
日進市岩崎町市場
◆交通:
◆歴史:
勝幡城の支城として織田信秀の属将である荒木氏が守っていた。
後に松平清康(徳川家康の祖父)が尾張攻略の足掛かりとして攻め落とし、一旦は松平氏の支配下になったが、森山崩れで清康が殺害されると、至近にある本郷城などを拠点としていた丹羽氏清が移り住む事になった。
氏清の息子で跡を継いだ氏識は一族で藤島城主の丹羽氏秀(氏清の弟である丹羽右京進の息子:氏秀と氏識はいとこ同士になる)と対立し、氏秀とそれを援助した織田信秀の軍勢を破り、勢力を維持した。
その後、尾張の織田、三河の徳川氏の双方から臣下の誘いを受けるが、氏識は息子の氏勝には織田信秀の娘を娶せて織田家へ出仕させる反面、自身は氏秀に援軍を送った織田信秀を嫌い、徳川家康に従属して碧海郡の赤羽根城を中心とした所領を与えられた。
その後、丹羽氏勝は小牧長久手の戦いでは徳川方に付き、戦の膠着状態を打破するため、豊臣方の池田恒興などが三河への中入れを行う際、岩崎城で足止めに成功するなどの功績を残し、後に岩崎城から約7キロ東にある伊保城へ1万石の大名として移封される事になる。
この時、岩崎城は廃城となったと言われている。
◆現在:
廃城後は整備されることもなく、畑などになっていたが、昭和62年に模擬天守が築城され、岩崎城址公園として整備されている。
二の丸側から撮影