年月日撮影
◆別名
◆所在
瀬戸市今林町
◆交通
◆歴史
弘治元年(1555年)近江の豪族である大津清宗によって築かれた城と思われる。
大津氏が当地に来て城館を築いた経緯は『故あって』と書かれているのみで不明。
大津氏は佐々木氏の庶流と言われているが、碑文を見ると足利義満の弟である満高が18代を継いでおり、満高の次男高郷が駒井氏を名乗り、その一族として大津氏が存在しており、佐々木氏の血筋の中に足利将軍家が入り込んだ家系と言える。
大津氏は本家にあたる駒井氏ともども近江守護の六角氏に従い、駒井氏は大津近辺を奉行として掌握していたと伝わるが、何らかの理由で尾張に来た後、永禄11年(1569年)織田信長の上洛の際に本家の駒井氏を織田家中に引き込んだ可能性もある。
その後の大津氏の動向は不明ではあるが、本家の駒井氏は信長・秀吉に従い、秀吉の時代には大津奉行に復帰している。
廃城に関しては、碑文に元亀・天正の頃と記されており、一部では武田氏の攻撃を受け落城したとも言われているが、武田氏の勢力がこの地域まで伸びてきた事実は無いため、実際は天正12年(1584年)に起きた小牧長久手の戦いの時に、この辺りを支配していた森長可の支配下の城の一つとして、徳川勢と戦って落城したと推測される。
◆現在
住宅地内にある小公園の一角に碑と看板が立てられているのみである。