◆別名
◆所在
瀬戸市羽根町
◆交通
◆歴史
承暦3年(1079年)美濃国多芸郡において、源重宗と源国房が大規模な合戦を行うが、これを朝廷に咎められ、両者とも私闘の罪に問われる事になった。
朝廷の命令で両者を追討に来た源義家であったが、康平7年(1064年)に国房から郎党を侮辱された事で合戦を起こしており、重宗が重罪に問われて六角獄舎に入った後は重宗の孫にあたる重遠に娘を嫁がせて尾張浦野へと移住させている。
その後、重遠の子孫は山田氏や、後に大名となる緒川城の小川(水野)氏、足助城の足助氏などに分かれて行くが、重遠の弟である源重定がこの地に城館を構えたのが菱野城の始まりとされる。
承久の乱を経て、菱野城は山田親氏が入り、上菱野城には親氏の兄である山田泰親が入るが、上菱野城は泰親一代で廃城となった。
◆現在
赤津川南岸に立つ住宅地の一角に看板が立てられており、手前の側溝は堀跡と記されている。
また、廃城になった際、城門が近隣に建つ西光寺の山門として移築されたが、伊勢湾台風の影響により破損し、建て直されている。